おおよその馬体論やそれに準ずる話は、決してそれが全て馬の能力を保証するようなものではありません。ある意味「型」であり、全ての馬に共通した定規のようなものではありません。そうした馬体論はあくまで一方を見るための手段であり目的となってはならないと思います。
目的は「早く走ること」であって「早く走るためにはどうあるべきか」を考えるべきで、「〇〇筋が発達しているから早く走れるはずだ」というのは馬体論が目的となっています。
走るという動作においても型があります。
四肢を交互に着地させ足を運び地面をけるという型が馬が走るという目的を達成するために必要な手段とします。その中で、より早く走るためにはどうすればいいかという型があるといったわけですね。
推進力を生む筋肉は大きいほうが良い、推進力をスムーズに前方に伝えるために背中や体幹はシッカリしていた方が良い、肩が窮屈だと前脚が出ないから関節が柔らかい方がいい、などなど。早く走るとされる馬に求められる「あるべき論」つまり「型」は多岐に渡りますが、そういった良いとされる型を何も考えず適用するのではなく、まずはその馬にあった「型」つまり、その馬の体型や骨格にあった「早く走るための型」を見出していってあげる必要があるのではないでしょうか。そのために必要なことは、その型が「なぜその型がいいのか」「なぜその型だと早く走れるのか」といったような本質的な部分を理解する必要があると思います。
そうやって見ていくと、型に合わない差分とも言える型が登場することがあります。そうしたときに、型に当てはまらない、例外だという結論に陥りがちです。
型はあくまで「型」なので、型のみを理解していると時代とともに変化してきた「ズレ」に気がつくことが難しいと思います。ただ、「型」の背景や本質的な部分を理解していれば、型のアップデートを行うことができ、新たな「型」へと昇華出来るのではないでしょうか。